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| ■ 今年の受賞者 ■ | ||
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■ マジシャン・オブ・ザ・イヤー |
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| 10代で鹿児島から上京。池袋のデパートでマジックのディーラーを始めたことを契機にマジックの世界に入られた。1961年NHKテレビ「お昼のプレゼント」にてプロマジシャンとしてデビュー。1976年テレビ東京の番組で、「山中湖・氷中大脱出」を発表。(脱出シリーズとしてはこれを皮切りに1979年「火炎槽大魔術」、1980年「炎のジェットコースター大脱出」、1985年「鳴門の大渦・大脱出」があり、いずれもテレビ放映される。)また、1978年に行った品川アイスパレスでの日本人初の「氷上大魔術」を初めとするライブショーも積極的に手がけられ、後楽園球場では1982年から3年連続で、『後楽園マジックショー・渚晴彦オンステージ』を開催された。一方、指導者としても信頼が厚く、弟子の多さからマジック界で一大勢力を築くほどである。歌手のコンサートなど各種ショーでのマジックを用いた演出にも定評がある。2007年3月、社団法人日本奇術協会・会長就任。 | ||
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■ 功労賞 |
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| 東京弁護士会所属。いわゆるギミックコイン事件(貨幣損傷等取締法違反および関税法違反被告事件)にて起訴されたマジシャンの弁護を担当。2007年3月6日の東京地方裁判所での初公判に始まり、同年8月13日からの東京高等裁判所での控訴審、さらには最高裁判所への上告と、マジシャンの権利を守るために徹底した弁護活動を献身的に続けられた。マジック関連の案件を最高裁で争うことになれば、日本のマジック史上初の出来事となる。一方、この事件を報道したテレビ局2社に対して、事件とは関係のない種明かしを報道番組の中で行ったとして、ギミックコイン所有者に対する財産権侵害を理由とする損害賠償およびマジシャンに対する名誉権、人格権侵害を理由とする損害賠償及び謝罪を求める裁判を2007年5月1日、東京地方裁判所に提訴し、同時に同司法記者室にて記者会見を行った。原告団第1陣は49名、第2陣は56名。その行動を通してマジシャンのみならず一般の人々に対してもマジックの文化的価値を啓蒙したことは後世に残る偉業である。 | ||
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■ 著述・放送文化賞 |
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| 2006年3月17日、「時空のファンタジスタ 魔術師Dr.レオン 日本テレビを生放送完全ジャック!」と題した特別番組が日本テレビで放映される。これを契機にマスコミへの露出が目立ち、国内外の話題を集めた。特に人気タレント、ダウンタウンと競演した「ダウンタウンvs魔術師Dr.レオン!!絶対見破るぞ史上最強マジックSP」(第1回2006年12月19日、第2回2007年7月19日)は好評であった。また、2008年4月19日の東京・青山劇場でのライブをはじめ、日本各地で精力的に公演活動を行い、大成功を収めた。このようにテレビや舞台で、クロースアップからイリュージョンまで、良質なマジックを幅広く演じることで、マジックの多面的な楽しさを伝えることに成功した。そしてその中で多くのマジックファンの掘り起こしを行ない、マジック市場の拡大に多大な貢献をすると共に、多くの方々にマジックを趣味とする契機を与え、マジシャン人口の増加にも寄与された。 | ||
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■ ベスト・クロースアップ・マジシャン |
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| 8歳でクロースアップ・マジックを始める。12歳で、ジュニア・マジック・コンテストに出場し、デビッド・カッパーフィールドより「将来最も有望な若手マジシャン」として特別賞を受ける。2005年、アメリカ・アボットの国際大会で「ピープルズ・チョイス賞」と「ベスト・マニュピレーション賞」を同時に受賞するなど、世界のコンテストでの受賞歴多数。台湾と中国でレギュラー番組が制作され、マジックの楽しさを中国全土の若者に伝え、これらの番組は前代未聞の人気を博し、台湾・中国では4つのファンクラブが結成されるに至った。一般に向けたマジックに関する著書も出版し、そのうちの1冊は2005年のベストセラーとなった。ライブにも積極的で、ハリウッドのマジックキャッスルでは台湾人として初めて演技を行った。日本においては2005年2月9日〜20日、2006年4月27日〜5月7日に「Mr.マリック超魔術団」の公演に加わり、銀座・博品館劇場でステージ、クロースアップの両方を演じ、多くの一般観客を魅了した。 | ||
| ■ マジックサークル・フェローシップ 高橋隼史(たかはしはやふみ) |
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| 東京理科大学奇術同好会出身。アルバイトでデパートでマジックのディーラーの仕事に携わる一方、自らマジシャンとして、バー・レストランでのマジックショーの仕事も経験した。また、有名プロマジシャンのスタッフとして、大がかりなマジック・ショーの制作にも関わり、イリュージョンからクロースアップにいたる道具のメンテナンスやセッティング、舞台の設営やステージハンドに至るまで、いわゆる「裏方」の仕事を幅広く行ってきた。マジックを文化と捉えた活動にも理解があり、2001年10月のJCMA設立時より、学生ボランティア・スタッフとしてJCMAに関わってこられた。若手としては異例なほど様々な実践の場を踏んできたその立場から、ジャパンカップ及び毎月のマジック・サークルの運営に多くの貢献をされた。2008年初頭に設立が見込まれる、NPO法人としてのJCMAでは設立当初の役員(理事)に就任予定。2007年、プロとして独立した。 | ||